印象派

エドゥアール・マネとは? 生涯・歴史・代表作品まで徹底解説!

エドゥアール・マネ(Edouard Manet)は、パリ生まれ。トマ・クチュールで画塾を学ぶ。スペイン画家の強烈な明暗法や表現力に感化されて、新しい表現方法を試みた。印象派の生みの親と多くの画家から賞賛されている。人物画を本領としており、近代生活を描き出すことを得意としていました。

エドゥアール・マネの生涯

(エドゥアール・マネ)
(エドゥアール・マネ)
1832年 0歳 1月23日、パリの中心部にて高級官僚の息子として生まれる
1848年 16歳 名門校コレージュ・ロランを卒業。リオ・デ・ジェネイロ行きの実習船に乗り込む。海軍兵学校の受験に失敗する
1850年 18歳 トマ・クチュールの画塾に入る
1852年 20歳 将来妻となるシュザンヌがレオン=エドアール・コエラを出産
1861年 29歳 サロン初入選
1863年 31歳 「草上の昼食」を展示した「落選者展」で観客の大ブーイングを受ける。シュザンヌと結婚
1865年 33歳 「オランピア」で再びスキャンダル
1867年 35歳 パリ万国博覧会に合わせて個展開催
1874年 42歳 ベルト・モリゾと実弟のウジェーヌが結婚
1880年 48歳 健康状態悪化
1881年 49歳 レジオン・ドヌール勲章受章
1882年 50歳 「フォリ=ベルジェールのバー」サロン入選
1883年 51歳 左足切断の10日後に死去
1890年 モネの尽力により「オランピア」が国家に寄贈される

エドゥアール・マネの歴史

エドゥアール・マネの印象派の絵を楽しむために、歴史について触れておきましょう。

父親の反対を押し切り画家の道へ

エドゥアール・マネは、1832年にパリで高級官僚の息子として生を受けました。名門学校では成績は酷く、デッサンしか褒められない子供でした。しかし、父親は息子を法律家にさせようと思っていたのです。

画家志望の息子と父親は折り合いがつきませんでしたが、なかなか夢を捨てない息子に対して、画家になることを認めたのです。

サロン入選作「オランピア」は大スキャンダル

オランピア
オランピア

サロン入選作「オランピア」が、裸体の助成を描いたことで大波紋となりました。女神や聖女ではなく、不敵な眼差しを向けた娼婦を描いた作品は、絵を破壊しようとする人まで出てくるなど、大スキャンダルに発展したことでも有名です。

早すぎる死を迎える

フォリ=ベルジュールのバー
フォリ=ベルジュールのバー

エドゥアール・マネは、40代に入った頃から左足に痛みを感じていました。16歳の頃に渡ったリオ・デ・ジェネイで感染した梅毒が発症したのです。

最後の大作であり最高傑作と称される「フォリ=ベルジュールのバー」を完成させたのが1882年。その翌年に左足の切断をしましたが、マネは51歳で生涯を閉じました。エドゥアール・マネの葬儀には、さまざまな芸術家が参列するほど、「近代美術の父」として多くの画家から賞賛されていました。

エドゥアール・マネの傑作名画

エドゥアール・マネの傑作名画をご紹介します。

オランピア(1863年)

オランピア
オランピア

オランピアは、作品に描かれた裸婦の名前です。1865年のサロンに出品したとき、友人の詩人アストリュクが詩「島の娘」でオランピアの名前を用いたことから、作品の題名として用いられるようになりました。近代絵画の代表的な裸婦像として有名である。

草上の昼食(1863年)

草上の昼食
草上の昼食

落選者展に展示された「草上の昼食」は、当時の絵画のルールを完全に無視をした作品でした。問題となったのは、こちらを見ている裸婦。当時のキリスト教社会では、裸婦画は欲情を煽るものとしてタブーとされていたのです。女神や聖女ではなく、人間のヌードは汚らわしいものとして取り扱われてしまったのです。

しかし、草上の昼食のオマージュ作品が続々と登場するほど、印象派の絵画として大きな影響を与えました。

笛を吹く少年(1866年)

笛を吹く少年
笛を吹く少年

緊張気味にポーズをとり、笛を吹く少年は近衛軍鼓笛隊員を描いたものですが、顔の部分は息子のレオンを描いたという一説があります。この作品は、遠近感を廃し、人物の動きを最小限にとどめ、コントラストの強い色を平面的に用いる浮世絵の技法が使用されています。

無地の背景に大胆な人物像を描く手法は斬新で、マネは技法に捕らわれず、さまざまな手法を取り入れる画家としても注目を集めました。

バルコニー(1868-69年)

バルコニー
バルコニー

36歳の頃に、家族とフランスとイギリスの間にあるドーバー海峡の近くのブーローニュ=シュル=メールに滞在。散歩の時に目にしたバルコニーに佇む人を描いた作品です。描かれているのは、友人のベルト・モリゾ、シュザンヌ、アントワーヌ・ギユメです。

フォリー=ベルジェールのバー(1881-82年)

フォリー=ベルジェールのバー
フォリー=ベルジェールのバー

マネの最期の作品です。パリで最も大きな劇場「フォリー・ベルジェール」内のバーを描いたもので、この絵画は世界的にも人気を誇ります。美術大学の学術論文の対象にされることも多いです。

フォリー・ベルジェールは、中産階級から上流階級の人達が集まる非常に和やかで楽しい場でした。しかし、その雰囲気とは対照的に、マネが描いたフォリー・ベルジェールは孤立して、暗めの表情で描かれています。実は、フォリー・ベルジェールは、売春婦を買う秘密の場所として有名で、社会の裏面を表現した作品としても有名です。

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